東京藝術大学 音楽学部楽理科/大学院音楽文化学専攻音楽学分野

特別寄稿 楽理科は何をするところか

楽理科という学科にとって非常に特徴的なのは、・・・中略・・・「何をするところなのか」「何をすべきか」という問題を巡って、教官も学生もまた学科自体も月日を重ね、成長して行くということでしょう。他の科には、そうしたことがあるのかないのか、私は正確には知りませんが、例えば、ピアノ科や声楽科にとって、何をするかは、ほとんど自明のことではないでしょうか。「私達の科は何をするところなのか」「何をすべきなのか」を絶えず考えなければならないということは、楽理科にとって幸せなことでしょうか。それとも不幸せなことでしょうか。今日お集まりの卒業生や在学生の皆様は、ひとりひとりがそのことについて自分なりの答えを見出し、あるいは引き続き解答を模索しながら、この席に臨まれたことと思います。解答は決してひと色である筈がなく、 この場には、その問題についてのいわば意識の星雲状態がありますが、私はそれを歓迎します。
・・・中略・・・
私なりの考え方を結論的にいうと、楽理科というところは、音楽学をバックボーンとする科であり、学生は音楽学の基本的な素養を身につけなければなりません。しかし、それを超えて何をするかは各自の自由です。卒業生の中には、大学や学校の先生をしている人が一番多く200名を越えますが、演奏家になった人もいるし作曲家になった人もいる。放送や出版関係で働く人があり、医者になった人も神父になった人もいる。家庭の主婦になった人も多い。全部それで良い。次に音楽学とは何かというと、音楽に対する熱い心と冷たい頭が根本であって周辺の事情は絶えず流動的に変わって行く。過去を本当に振り返る勇気と新しい方向を目指す勇気を持ち、さまざまの尺度と道に対して、寛容であればそれで良い、と思う。ものごとが一色に染まるのは、却ってつまらないことではなかろうか。最初に言ったように、このようにして何百人かの人が集まれば、楽理科は何をするところか、卒業生は何をすべきか、ということに関しては意識の星雲状態がある。その星雲状態が冷めていく星雲ではあって欲しくない。生まれてまだ42年という年若い楽理科は、なお宇宙創生の神話を秘めた希望に満ちた星雲であって欲しい。楽理科のバックボーンである音楽学の研究対象と方法について言うと、現在の芸大楽理科の卒業論文・修士論文・博士論文は、その対象領域の豊かさと研究方法の多様さにおいて目を見張るものがあり、その点では世界中のどの音楽学の研究施設に比べても劣らない。ただ一層、質を高める課題が残されている。それは今後、達成されるであろう。これから先の楽理科に私が個人的に望みたいことはただ一つしかない。それは、事に当たって、私が平和を望み、戦うべき時には戦ったが、人を傷つけることは好まなかった、ということだけを覚えておいて、いきいきと発展躍動して欲しい、という願いである。それが、私の退官にあたっての言葉である。
名誉教授 服部幸三 (最終講義「楽理科を想う」(1991年2月26日)草案より)