東京藝術大学 音楽学部楽理科/大学院音楽文化学専攻音楽学分野

体験談:授業(~2022年)

概説

概説授業

 楽理科の授業に関して言えば、1、2年の授業は「概説」という講義が主となっています。「西洋音楽史概説」「東洋音楽史概説」「日本音楽史概説」…等がそうです。これは、その分野の概観を掴むことを目的としています。実際の講義では担当の先生が担当の分野について口頭で説明するのを聞いていくこととなります。ある意味で受動的なものですから、この講義がどう自分に生かされるかは己次第になってくると思います。現在の行動は全て未来の自分へ還ってくることになるので、常に未来を見据えて行動していきたいものです。  楽理科に所属する人の中には様々な人がいます。まだ決まっていない人、音楽についての勉強が好きな人、舞台や演奏会の裏方がしたい人、分析することが得意な人、等。けれども楽理科の皆は、演奏者ではない立場で音楽の道を進もうとしている、志を同じくする人々には間違いありません。自分に賛同してくれる人と共にやりたいことをやっていくのに相応しい環境であると私は思います。楽理科はそんな人々と切磋琢磨し合い、常にお互いを高め合える場となることでしょう。自ら求めて動いたのなら、何かしらが掴めるのではないかと私は思っています。 将来は総じて不確定で不安なもので、先が見えません。楽理科という多岐にわたる分野へと繋がる立場にいるので、常に「大学4年間の後に何をしていきたいのか」「そのためには何が大切なのか」を模索しつつ、積極的に且貪欲に将来を追い求めて行きたいものです。
2012.7.26. 学部2年 H.O

西洋音楽史概説

 私が楽理科に入学して、楽書購読の英文や、語学の文法より先に、まず頭を悩まされたもの、それが「概説」授業の選択です(「概説」についての詳しい説明はmasanaryさんがしていらっしゃるので割愛します)。火曜日の時間割を、自分の好きな分野、興味のある分野で染め上げるべきか、あるいは、今はあまり関心のない分野、未知の分野に手を伸ばし、視野を拡げてみるべきか……、これは、おそらく学部一年生の、古今を通じた悩みなのではないでしょうか。  西洋音楽史は、私が真っ先に履修することを決めた科目でした。概説の中で、一番興味のあった科目がそれだったからです。将来は西洋音楽について研究したいなあ、などという、すこぶる気の早い志があったのも動機の一つでした。  西洋音楽史、と一口で言っても、(言うまでもないことですが)その範囲は幅広く、文字も残っていない古代から、私達が生きている今この時間までを包含しています。私は、バロック時代から近代の音楽についての知識は、(以前から弾いていたピアノや、受験前の勉強などのおかげで)それなりにあったのですが、それ以外の音楽については赤ん坊のように無知でした。しかし、この概説の授業で、私が知識を持っていない時代の事柄、さらには、ある程度知識がある時代の知識のない事柄を幅広く学び(また、実際に聴き)、知識を広げることができました。一年を振り返ると、――楽理科の学生は、古典派以降の音楽についてはある程度の知識を持っているということを前提としているのでしょう――私達の多くがあまり知らない、古典派以前の音楽についての事柄に多く時間を割いていただいたようです。  また、担当の土田先生は、私達が前後期に書いたレポートをくまなくお読みくださり、書式など、間違えた箇所を指摘して返してくださります。赤が入ったレポートを読み返すのは情けなくも恥ずかしくもありますが、非常に勉強になります。
2012.7.26. 学部2年 ネネム

音楽民族学概説(2011年度)

 数ある楽理科開設の授業の中でも、私が特に芸大において“楽理科らしい”と感じるのは、音楽民族学概説の授業です。 概説の授業は、楽理科の学生が1-2年次に履修する必修授業で、音楽の基礎知識を大きく6つに分類し講義を受けるものです。他にも西洋音楽史概説や、音楽美学概説などがありますが、私は中でも先述した音楽民族学概説が特に好きでした。
楽理科を受験するには、主に西洋音楽の知識を勉強するため、世界の様々な音楽に触れる機会を今まであまり持たなかった楽理科生も少なくありません。少なくとも私はこの授業で、西洋のクラシック音楽以外にもたくさんの面白い音楽があることを知りました。毎週、他の民族関連の授業とも併せて、自分の音楽の世界観が広がっていくのはとても楽しいことでしたし、より音楽を多面的に捉えることが出来るようになったと感じています。
音楽民族学の歴史や基本用語も学ぶことが出来る、とても良い授業だと思います。
2011.7.25. 学部3年 M.H

楽理科の概説授業(2011年度)

 ここ楽理科での学生生活も2年目となった。楽理科の学生は1、2年次において西洋音楽史、日本音楽史、東洋音楽史、音楽理論、音楽民族学、音楽美学という概説科目計6つ(全て火曜日に開講)を3科目ずつ選び履修しなければいけないのであるが、これらは期末に試験を課す科目とレポートを課す科目に分かれるため選び方によっては試験の時期になると一日内に試験が3連続するという非常に酷な体験をする学生もいる(かくいう私も一年次に日本音楽史、東洋音楽史、音楽民族学を選択したためその試練に遭ったのであるが)。しかしそのおかげで今年度は試験1科目とレポート2科目というバランスのとれたものになったため、夏季休業を利用してじっくりと時間をかけながら課題をこなすことができそうである。
これら6つの科目によって身に付いた基礎は、その先卒論に向けて自らの専門分野を絞っていくための良き土台となることであろう。演習科目が主となっていく3年次以降に備え、残る半期も幅広い知識を吸収する機会としての概説科目を決して無駄にしないようにしたいと考えている。
2011.7.25. 学部2年 masanary

音楽理論概説(2004年度)

 音楽理論概説は、楽理科1、2年次に履修する6つの必修科目のひとつです。「音楽理論」と聞くと、「楽典」のことを想像する方が多いのではないでしょうか。私もこの授業を受ける前はそのように考えていましたが、授業で勉強するのは楽典のような基礎的な知識を深く掘り下げ、また「音楽学的な」内容を扱った音楽理論です。例えば、私は「音律」(平均律や純正律などの)に少し興味があったのですが、音律についての講義では各種音律の構成のされ方、ピッチの比などに加え、歴史的な事柄も扱われました。
また概説というと一方的に講義をうけるイメージが強いですが、今年度のこの授業の前期のレポート課題は、各自が興味をもった事柄についてまとめる、というもので、ちなみに筆者はジャズのアドリブフレーズの可能性(どのようなスケールが使えるか?)について書いたのですが、普段は音楽学の基礎を培う講義を受けつつ、自分の興味のある事柄も研究させてもらえるので、楽しみながら勉強することができる授業だと思います。
2004.12.3. 学部2年 晴少納言

初級演習

初級演習(美学)

 美学の初級演習では,音楽や美をめぐる主要な概念やトピックをテーマに据えて,グループ発表を行います。初級演習という授業は,音楽学の研究やプレゼンテーションに必要な基礎的な方法論を学ぶことを目的としていますが,とりわけこの演習では「テクストを読む」という行為に重点が置かれていたような気がします。 学生はテーマに関して与えられた主要な文献を精読し,その内容について発表します。ここでの精読という作業は,実は見た目より鍛錬を必要とするスキルであるように思います。テクストを読み解くためには,柔軟な想像力が求められる一方で,想像力のみに依拠した「読み」では,それは実感を伴わない空虚なものとしかなり得ません。自身の音楽経験や,持っている知識に照らし合わせるというような主体的な行為を通して,はじめて実のあるものとして読み手がその姿を掴み得るものです。 文献を批判的に読み,そこから得たものを他人に伝えることは,基礎的でありながら,もしかすると学部1,2年生にとってはハードルの高いものかもしれません。しかしまたそれ故に,この演習のようにひとつのテクストに真摯に向き合うという経験は非常に貴重であり,その経験を通して得たものは,必ずや今後の大きな糧となるのではないでしょうか。
2012.7.26. 学部2年 藤田

初級演習C(2011年度)

 初級演習Cでは、西洋音楽史研究において基礎となる考え方やスキルを学びます。
歴史研究というものは、資料を収集・批判・理解した上で、歴史を記述するという過程を繰り返しながら進めていくわけですが、その際「資料」の扱い方が非常に重要な問題になります。そこで、この授業では、必要な資料をいかにして収集し、その信頼性を吟味して、意味づけるかという各段階を、具体的な事例を取り上げながら考えました。前期は、音楽事典の引き方や、国内外の論文記事・楽譜の探索方法、文献表の作成方法などを一通り学んだ後、ベートーヴェンのソナタやショパンのプレリュードなどを例に、楽譜校訂・出版の問題について議論したり、西洋音楽史研究の諸方法と諸分野についての知識を深めたりしました。後期は、前期に学んだことを踏まえて、楽譜資料研究や受容研究、演奏研究、音楽社会学など様々な研究の立場から書かれた文献資料を解釈し、テーマごとにグループ発表を行いました。特にこの発表の最後にある質疑応答は、ひとつの質問・意見から議論が白熱することもあり、大変有意義なものだったと思います。
この授業では、基本的な考え方や知識はもちろんのこと、あるテーマについて主体的に考え発言し合うことで、理解を深めていくという姿勢の大切さを学ぶことができました。皆さんも、ぜひたくさん発言をして、音楽が大好きな仲間たちと熱い議論を楽しんでください!
2011.7.25 学部3年 Goetheのネコ

初級演習D(2004年度)

この授業は音楽民族学の初級演習です。世間で広く用いられている、「民族音楽学」ではなく、「音楽民族学」という名称にしているのは、本学楽理科の教授の考え方に基づくもので、この中には西洋音楽も含まれます。授業では主に、普段私たちが触れる機会の少ない、いわゆる少数民族の音楽、声によるコミュニケーションをテーマにしています。楽理科必修の授業ですが、他学科の学生も参加しています。
前期は主に文献購読を中心に、各時間、約2名がその発表にあたりました。その際には、その日の担当者がレジュメを配り、資料となる音源を用意し、わかりやすい発表にしようと努力しています。
後期は、こえの特殊な技法や、合唱と独唱について、など各自のテーマに沿ったレポートを作成し、それをもとに発表します。
皆で音源を聞いたり映像を見たりして、異文化の空間へと旅立つのです。(例えば、中央ボルネオの森に住むプナン族のカミの声の音声表象が印象的でした。)時には各自の考えを発表し、みなで意見交換も行います。
2004.8.9 学部一年 M&M

初級演習C(西洋音楽史)2002年度

 初級演習とは、3年次からの「演習」(あるテーマについて輪番で調べ、発表する授業です)に備え、音楽研究の初歩を学ぶ授業です。C(西洋音楽史)の前期では、大角欣矢先生が「資料」の扱い方について講義して下さいました。音楽事典の引き方、楽譜や外国の論文記事の探索方法、文献表の作成方法などを一通り学んだ後、実際に初期ロマン派の作曲家・シュポーアの研究を想定して、文献表を作成したり、弦楽四重奏全曲の楽譜のリストを作成したりしました。その他、バッハのインヴェンションやフランス組曲、ベートーヴェンの月光ソナタなどを例として、楽譜校訂・楽譜出版の諸問題について学びました。
この授業で得た知識は、レポートの作成や演習の発表で大いに役立っています。定期的に課題が出て大変でしたが、あの課題は大角先生の愛のムチであったと、今実感しています。。。
2003.5.22 学部3年 Agnes

音楽学実習(大角欣矢先生)

 「音楽学実習」とは、卒業論文に関する個人指導です。先生の研究室を訪れ、テーマ設定から執筆まで、指導を受けます。実習は、訪れることに意義があります。「雑談でも良いから」という、先生の温かいお言葉に背中を押され、「勉強不足でも、とりあえず行こう」と決めました。雑談であろうと、先生との対話は刺激的です。貴重なアドヴァイスが潜んでいることもありますし、漠然としていた自分の意見が、不意に口をついて出ることもあるからです。
楽理科に来たのなら、物怖じせず様々なものと向かいあうことをオススメします。多種多様な音楽文化に触発される可能性は、無限大です。学生生活を通して音楽観は変わります。私自身、まさかJ-popで卒論を書くことになろうとは、予測もしませんでした。
「卒論どうしよう?!」なんて大騒ぎしなくても、「このテーマで書いてみたいな」と素直に思える瞬間が、一人でも多くの人に訪れますように。
2004.4.30 学部4年 magnet

大学院音楽研究科開設科目 音楽学演習

音楽学演習(福中ゼミ)

 ニュー・ミュジコロジー再考、音楽と政治、受容理論、シェンカー理論、マルクス主義音楽学…これらは近年の福中ゼミで扱われたテーマの一部です。 このゼミは、音楽史上の個別的事象の詳細を扱うというよりも、音楽研究の基礎となる理論的枠組みを身につけ、研究者としての幅広い応用力を養う、といった性格をもっているように思います。受講者は、最新の音楽研究書から哲学・文学理論の古典まで多岐にわたる文献(主に英語)を批判的に読み解き、自分自身の言葉で率直な見解を述べることが求められます。 毎回の予習はなかなか大変ですが、山のような文献と格闘していくうちに、読解力(語学面を含む)・論理的思考力・プレゼンテーションスキルといった能力が自然と鍛えられてゆくのを感じます。難解な文献を前に、ああでもない、こうでもないと頭をひねった経験は、私自身、自らの研究に取り組む際にさまざまな面で大変役立っています。なにより、先生も学生も一緒になって、学び、考え、議論しあえる開放的な雰囲気が、このゼミの一番の魅力です。
2012.6.25 博士課程2年 N.J.

音楽学演習(土田ゼミ)

 土田英三郎先生のもとで行われている土田ゼミでは、テーマ決め、文献探し、毎回のゼミ発表・司会・ディスカッションを学生主体で行っています。1年間の流れとしては、前期に、テーマに則した基礎文献を複数冊読み込み、その研究領域の基礎知識を固めます。そして後期は、これらの知識を土台に、かつゼミ生各自の関心や研究内容に引き付け、具体的に個々の作曲家や作品を取り上げた文献を講読し、個人発表形式でゼミを進めています。基本的に、文献は英語です。 今年度のテーマは「音楽とナショナリズム」で、受講者は12名ほど。今まさに、音楽におけるナショナリズムについて、基礎固めをしているところです。これまでに、ニューグローヴ音楽大事典(英語版)第2版のNationalismの項目、ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』、Curtis, Benjamin. Music Makes the Nation: Nationalist Composers and Nation Building in Nineteenth-Century Europe.(第1章Nationalism and Musicと第2章 Creating National Music)などを講読しました。 土田ゼミでは、活発なディスカッションも求められ、発表者が発表の最後にディスカッションのポイントを提示するのも特徴的です。私たち学生にとって、ゼミでの発表やディスカッションが、各自の研究に新しい視点や思考をもたらすこともあり、また学会やシンポジウムでの発表などのよい訓練にもなっています。

音楽学演習(塚原ゼミ)

 発すれば響く。それはゼミに参加して私がいつも抱く実感です。1人のゼミ生が発した声は、その場の全員がそれぞれ受けとめ、共有します。時には異なる意見、新しい見方が提示され、更に発言に熱が帯びる事も。この議論の中で思索を深めていく過程は、1人1人の声を2声3声と重ねていく事に相通じ、それはポリフォニーへの展開を予感させるものです。  ゼミには音楽学以外に音楽教育学、音楽文芸専攻の学生などが参加する事もあります。国籍や年齢にこだわらない和やかな雰囲気ですので、各々が自由に発言する事ができ、存分な研究的追究が可能となっています。そしてゼミ生達を常にあたたかく見守って下さっているのは、塚原康子先生。的確なご助言や補足等を通して、学生達を御教導下さいます。  今年度のゼミでは、平成の天皇の即位礼・大嘗祭といった儀式と、その際に用いられる音楽について、さらには平成以後の20余年間の日本の音楽状況について考察していきます。3年前から明治・大正・昭和の天皇と儀式、そしてそれぞれの時代の音楽状況を辿ってきており、本年はその締めくくりにあたります。この1ヶ月は『昭和天皇』(古川隆久著、中公新書、2011年)、『平成の天皇と皇室』(高橋紘著、文春新書、2003年)、『敗北を抱きしめて』(ジョン・ダワー著、岩波書店、2001年)といった著書について、ゼミ生が内容紹介する形で発表してきました。  音楽が時代の影響を色濃く受ける事は改めて言うまでもなく、作曲・演奏・批評など、どんな形であろうとも、それが行われる時代の様相を映し出し、変容を遂げる場合もあります。明治以降の日本の歴史・時代背景を俯瞰的に捉える事により、日本の音楽について検討する上での新たな視界が広がっていくと考えられます。
2012.6.25 修士2年 書生M

 音楽学演習(植村ゼミ)

 毎年、植村ゼミでは前半、民族音楽学の大きなテーマに関する本をもとにゼミの皆さんが順番に一章一人ずつ発表し、後半はその本のテーマに関する自分の研究を順番に発表する構成となっています。今年は僕に取っての興味深いAnalytic and Cross-Cultural Approaches to World Music (Tenzer & Roeder 2011)を読んでいます。植村先生の特徴はこう言った幅広いテーマに特定的なケース・スタディーからアプローチすることだと思います。いつも先生も院生も面白コメントを言って下さり、充実したディスカッションになります。そして、ゼミが終わったら先生も院生も一緒に昼食を食べに行くことが多く、知識だけではなく、友達も増えました!
2012.6.25 修士一年 キーウィー

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大学院音楽研究科開設科目 音楽学特殊研究

 音楽学特殊研究(美学)

 音楽学特殊研究は、毎年異なるテーマを取り上げて行われるゼミ形式の授業です。本年度は、20世紀末とそれ以降の音楽美学のトピックを再検討し、この領域の現在と可能性とを議論することをテーマに、論文集Adam Krims (ed & introd.) “music / ideology. resisting the aesthetic” (OPA, 1998)の精読と、近年出版された著作の書評を隔週で行っています。  メインテクストとなる論文集には、音楽とイデオロギーをめぐって、シューベルトやベリオ、さらにはシェンカーに関するものまで、様々な理論研究や分析研究が収められています。そのため、論文の執筆において楽曲分析などを行う際に有用な視点や方法を学ぶこともできる非常に興味深い内容となっています。  書評の回では、発表担当者が選んだ著作の紹介とその批評を行い、それに対する議論が行われます。毎回、音楽のジャンルや書籍の種類を問わない様々な文献が取り上げられるため、自分の研究とは異なる分野に関する見識や知識を広げることができ、一つのテーマについて突き詰めていく精読とはまた違った面白味があります。  このように、異なる2つの内容によって構成される授業は、長木誠司先生のユーモア溢れる鋭い解説を交えて行われるディスカッションもあり、常に新たな発見と学びのあるとても刺激的な空間です。2012.6.25 修士2年 RR

音楽学特殊研究(西洋A)

 音楽学特殊研究は、前期は片山千佳子先生、後期は大角欣也先生が担当しています。片山ゼミでは、先生の専門である音楽理論に関する最新の論文(選択は片山先生)を輪読しています。大角ゼミは、学生の話し合いによってゼミのテーマを決めるのが習わしとなっています。履修者のうち一人ないし、二人が毎週、担当箇所を45〜50分で発表し、質疑応答を含め1時間30分の授業です。 最近の傾向としては、背景となる思想を体系的に学んでいなければ読み解けない論文を扱うことが多くなっています。 片山ゼミでは、2010年度は、リーマンの音楽理論とドイツ・ナショナリズムとを関連させたもの、2011年度は、主体についての認識の変遷と音楽理論を関連させたものを読みました。大角ゼミでは、2010年度は解釈学によって音楽の持つ「ワールディング・パワー」とは何かについて論じたもの(だったのではないかと私が勝手に思っている)、2011年度は古楽演奏HIP (Historical Informed Performance) の活動についての批評を輪読しました。 2010年度の大角ゼミおよび2011年度の片山ゼミは、思想に弱い私にとってつらい精神修行のような授業でした。もう少し、現代思想の知識があれば、面白い授業だったのではないかと思い、この次は頑張るぞ!と思うのですが...そういえば、2010年度の大角ゼミでは、発表者が次々に発熱したような記憶が... いずれにせよ、最近の音楽学の傾向を如実に反映したテーマを扱う授業だと言えそうです。手強い内容のことが多いですが、受講生たちは理解しようと、懸命に取り組んでいます。2012.6.25 博士課程2年 マカロン(コーヒー味)

2011年度大学院開設科目 音楽学特殊研究 西洋A

 この科目は片山千佳子先生と大角欣矢先生が半期ずつ担当されているゼミ形式の科目で、大学院生20名ほどが参加しています。大角先生のゼミでは学生が主体となってゼミを行っているため、ゼミで扱うテーマや文献、発表の日程決めなども学生が決めることができます(2009年度はピアノの歴史について、2010年度は解釈学について学びました)。
このように学生が中心となって決めたテーマや文献について、毎週1人の学生が発表をします。ゼミ全体は90分間で、発表が前半の大体50分で行われ、後半の40分程は文献の内容や発表者が提示したディスカッションのポイントについて、受講者が意見を出し合ったり、大角先生に軌道修正して頂いたりしながら、扱っている文献について理解を深めています。2011.7.25 博士課程1年 Furudo Kei

その他の楽理科開設科目

楽書講読 <ラテン語>(2011年度)

 この授業では片山先生による指導の元、ラテン語による西洋中世の音楽理論書を読み解いてゆきます。
芸大では、言語科目としてのラテン語はドイツ語やフランス語とは異なり初級までしかないため、この授業を初めて受講する学生の多くは、初級文法をようやく修めた段階で早くも原書と格闘することになります。そのため、最初は読解が少し難しく感じるかもしれません。しかしご安心ください。授業では、まずは全単語の文法的意味の確認から始まるため、各文を見落としなく丁寧に理解してゆくことができます。そして、こうした取り組みから少しずつ、ボエティウスやグイード・ダレッツォなどの著名理論家の言葉に直接触れる喜びを得られるようになってゆきます。(「古の知恵の宝庫である西洋古典を、音楽に関するものに絞って精読する」という点で、全国でも貴重な授業なのではないかと想像しています)。私はすでにこの授業を何年も受講していますが、当初の苦労が次第に「言葉と向き合う喜び」に変わってゆくのが楽しくて仕方がありません(1年間だけでも大きく変化します)。
中世音楽の専攻生はもちろん、広く西洋音楽、西洋思想に関心のある学生、あるいは「根源的」「古きよきもの」「古典」といった要素に惹かれる学生にとっても刺激的な授業となるでしょう。
2011.7.25 博士課程2年 プサルテリウム

楽器学(2008年度)

 楽器学は、前期は民族音楽学の立場から、後期は音響学の立場から楽器について考察します。
前期を担当なさる植村先生の授業では、授業の内容に沿って毎月レポート課題が課されました。例えば、楽器の分類法についての記録映画を鑑賞した後に自分なりの分類法を考えるといったものです。この授業の楽しいところは講義を受けておしまい、ではなく自分で考えて知識や理解を深められるところです。また、授業の度に感想や質問を書く紙が配布され、一人一人に丁寧なコメントを返してくださるのも魅力の一つと言えるでしょう。
後期の小泉先生の授業では、楽器の構造と楽音の特徴を物理的に考察します。電子楽器に関しては電子技術の進歩に伴う発展を振り返るとともに、楽音合成の方式をコンピュータを用いながらわかりやすく説明してくださいます。
2008.10.13 学部1年 ウメダ

鍵盤音楽史

 この授業では、鍵盤音楽の成立から、それを取り巻く歴史的背景、音楽文化のあり方や音楽と人間の関わりなどについて学んでいます。
今までピアノ演奏を続けてきた私は、演奏だけでなく、その歴史など別の方面から ピアノについて勉強したいと思いこの授業を履修しました。実際に授業を受け、ピアノについてはもちろんのこと、これまであまり触れる機会のなかったオルガンやチェ ンバロの歴史、楽器製作、また音楽批評などについても学ぶことができ、鍵盤音楽に対する視野が広がったように思います。
また、授業では、毎回授業内容に合わせた曲を聴くため、楽曲構造や形式などをより実践的に理解することができます。最近では、民族主義の音楽についての講義で、バルトークやグリーグの曲を聴いて、その特徴を捉えることができたのが印象的でした。
鍵盤音楽を中心に、様々な角度で音楽を学びたい人におすすめの講義です。
2005.1.7 学部1年 DIAMOND

楽書講読(日)

 この授業では、三味線音楽に関する江戸時代の版本や写本を読みながら、くずし字の解読の勉強をしています 。
「遠い時代の人が書いた文字をそのまま読めるようになるなんて、かっこいい!」そんな軽い動機で履修したものの、いざ授業に出てみると、日本音楽を専門に研究したい、三味線音楽に興味がある、などという志高い方々に囲まれ、ハッとしました。知識も理念もなく飛び込んでしまったが、私ここでやっていけるんだろうか。
しかし担当の野川先生は、私のような不勉強な生徒がつまづきそうになるたびに、「聞いた事あるかしら」と丁寧に説明して下さいます。ヨカッタ。三味線音楽の門戸は広く開かれていました!また、音源や楽器を用いた具体的な解説もあります。先日の授業では先生ご自身の胡弓に実際にさわりました。研究の際の資料集めのお話も聞けるし、書誌学に関する知識も学べます。くずし字は街にけっこうあふれているもので、日本料理屋さんなどが急に身近に感じられたりします。
2004.12.7 学部二年 naco

1997年度開設科目 音楽音響学

 97年度に受講した中村俊一先生の音楽音響学、とりわけ、授業で行われたさまざまな「実験」が、強く印象に残っています。毎回の授業で実施される実験は、ほかでは経験できない貴重なもので、その後のわたしの音楽体験をたいへん豊かにしてくれました。たとえば、2つのステレオ・スピーカーをもっとも効果的に聴くことのできる位置を探す実験では、広い教室のなかを自由に移動しながら、聴こえ方の違いを音響学的な理論を交えて学びました。また、グランドピアノの底面に上面のいわゆる蓋と同じような共鳴板をつけると、響きがぐっと華やかになる、といったことも、実際に確かめることができました。残念ながら、数学がまるでダメなわたしにとって、先生が熱心に説明してくださった音響学の基礎理論は、ほとんど理解できず、苦痛ですらありました。しかし、当時は判らなくとも、のちに音響学のキーワードにゆきあたった時、授業で聞いた先生の言葉が思い出されることがよくあります。現在は音響学とはつながりの薄い領域を専攻しておりますので、この授業を通じてまったく違う視点を得られたのは、大変によかったと思っています。
2003.12.11 博士課程2年 M

実技科目

西洋古楽演奏Ⅰ

 楽理科開設科目の授業「西洋古楽演奏Ⅰ」では、チェンバロを使って通奏低音を学習します。毎回の授業では、チェンバロが2台置かれた教室で、先生のご指導のもと一人ずつ順番に楽譜に書かれた数字を読み、鍵盤で和音を付けます。といってもひたすら鍵盤に向かって数字を読む、というわけではなく、毎回先生がレッスンを始める前にチェンバロなどの鍵盤楽器が入ったアンサンブルの録音を聴かせ、解説してくださるのも魅力のひとつです。知らないドイツ語の単語がたくさん出現します。そのおかげでバロック音楽の知識も増え、その気になれば気分をバロック時代にすることができるようになりました。最初は五線譜に数字がたくさん書いてあることで不思議な感覚に陥って、根源的なことを考えてしまったり、慣れてきてもいろいろな諸問題を考えてしまったりしてなかなか指が進まないのですが、先生は見捨てずにやさしく教えてくださいます。
2012.7.26. 学部1年 m1wr4sr4sr

西洋古楽演奏(2001年度)

 「西洋古楽演奏」という授業が何故か私の所属する作曲科の単位履修計画表にのっていた。その授業内容には要するに「通奏低音」をやるのだと書いてあった。チェンバロの前に腰掛け、西洋の古楽器たち―――ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロックチェロ、フルート―――などと向き合いながら華麗に即興演奏している自分を想像してみた。
素敵。
かくして私の時間割に組み込まれたのだった。
その授業はアヴァンギャルド慣れした私にとって新鮮の極みであった。 何しろ毎回チェンバロに触れるということがとにかく魅力的なのだ。とにかく、触る、触る。けれども私のような動機でもって集まった人たちがたくさんいるのでなかなか弾く順番がまわってこない!じれったい! が、なんと最後には試験という形で夢のアンサンブルがまっていた!
このアメとムチのような環境なおかげですっかり虜になった私が翌年も「西洋古楽演奏」を履修したことは言うまでもない。
2003.6.12 作曲科3年 ∫∈↑≪◎

 ガムラン演奏Ⅰ(2009年度)

 ガムラン演奏Ⅰの授業では、インドネシア・バリ島のゴング・クビャールを演奏します。私が授業をとったときは、人数が多く、授業の前半と後半に分かれて行いました。演奏は、特に決まった楽器だけに入るわけではなく、ローテーションでいろいろな楽器に入って、それぞれの楽器の奏法を教えてもらいながら覚えます。バリ島のガムランに特徴的な技法の一つに「コテカン」というものがあり、二人一組になり一つの旋律を奏でていきます。この二組のそれぞれのパートは「ポロス」「サンシ」といい、まず表拍の「ポロス」を全員覚え、できるようになってから「サンシ」を覚えます。ようやく「ポロス」ができるようになったところで先生が隣で「サンシ」のパートを弾きはじめると、そっちが耳に入ってきてつられてしまい、最初は大変でした汗。でも、この二つが組み合わさってどのような旋律となるのかがわかってくると、もう一方のパートを聴きながら演奏するのが楽しくなります。きっとこれがガムランの演奏を楽しむ一つの醍醐味なのでしょう。 授業で演奏するのはバリガムランだけですが、芸大にはジャワガムランのクラブがあります。同じインドネシアのガムランでも、バリ島とジャワ島では楽器も異なり、また対照的ともいえるほどに音楽的性格が違います。私はジャワガムランの魔力にはまり抜け出せなくなってしまった人間の一人です。授業をとって、バリガムランのセットの向かい側にあるジャワガムランも気になったら、ぜひクラブに遊びに来てください!
2012.7.26. 学部4年 kuusuke

 東洋音楽演奏II(中国琵琶)

 中国琵琶の授業は毎回程良い緊張と和やかな雰囲気で包まれている。王東暁先生は非常に熱心な方で、グループレッスンであるにもかかわらず、受講生一人ひとりに、それぞれの抱える姿勢や奏法の問題を指摘してくださる。授業のはじめには、基礎練習である音階を念入りに確認し、それから今までに習った曲の復習をする。前期に習った曲は、「ふるさと」、「太湖船」、「茉莉花」、「採茶歌」、「月児高」の5曲にものぼる。  中国琵琶を習うにあたって私たち受講生が一番苦労しているのは、トレモロ奏法である。トレモロ奏法とは、同音を細かく分割し持続しているように聞かせるもので、この奏法こそが中国琵琶において、本来ならば減衰して聞こえるはずの持続する音に対して、強弱のニュアンスをはじめとする細微な表情を付けることを可能にしている。しかし、音を美しく均等に分割するには、右手の絶え間ない訓練が必須であり、初めてまだ3ヶ月の私たち初心者にはあまりにも難しい。だからこそ、受講生たちは練習のために琵琶を自宅へ持ち帰り、個人練習をして次回の授業に望んでいる。  この授業ほど受講生のモチベーションが高く、受講生と先生との距離が近い授業は珍しいだろう。今年度は以前の授業よりも早いペースで進んでおり、授業の進度は先生が受講生のレベルに合わせて細かく組んでくださる。また、受講生は授業で配られた王先生ご本人が演奏なさっているCDを聴いて曲を覚えたり、先生がご出演している演奏会に足を運んだりしている。このように良い演奏を聴いて自身の楽器演奏に生かすというプロセスは中国琵琶に限らず、あらゆる楽器に対して有効な方法であろう。その点で、この中国琵琶の授業を受講するということは、いかなるひとにとっても実りの多いものである。
2012.7.26. 学部4年 とアル・カポネ

東洋音楽演奏I(シタール演奏 1989年度)

 4月、まだ高校生気分も抜けきらない1年生の私は、どんな楽器かも知らないまま、うきうきとシタール実技の部屋に向かったのでした・・・。
サリー姿も優雅なスシュマ先生。唐草模様の素敵なインドの弦楽器。私は異空間を満喫しながら、先生の「楽器は神様だから、またいではイケマセン」との注意を耳に、楽しく「音階練習」にいそしんだのです。
かすかな疑念が確信に替わるのに、そう時間はかかりませんでした。「ユビ、イタイ・・・」。実はこの楽器、フレットと金属弦の間が離れており、押さえるのにかなりの力がいるのです。回を重ねるごとに、指は赤く、皮は厚くなり、試験前には激痛との闘いでした。最初の異文化への憧憬はどこへやら、すっかり気分は体育会系。まるでバレーボールチームのように、同級生の履修者と励まし合いながら、自主練(ほんとにスポーツみたい!)を繰り返したのです。
スシュマ先生の見事な模範演奏、クリスマス会で食べた本場の豆カレー。そしてあの指の痛み。もう一回り以上も経ってしまいましたが、痛みもすっかり退いた今でも、シタールの授業は懐かしく思い出されます。そして今、履修している皆さん!勝利への道は遠い!今年1年、耐えてガンバルノダ!!
2003.5.29 非常勤助手 さーしゃ

副科実技

副科実技と私

 私は副科打楽器を履修しています。この授業では単に楽器を演奏するのみならず、身体を使ったあらゆるリズミックな運動の習得が求められます。毎回発声、歌、ダンス、劇、筋トレ等を行い、様々な角度から人間の身体を根本から見つめ直し、その延長の自然な成り行きとして実際の楽器の音を出していきます。この授業はグループレッスンで行われ、今年は声楽科、作曲科、指揮科、古楽科、楽理科の学生が10人前後履修しています。皆仲良しで、とても楽しいです。
2003.11.6 学部2年 武蔵

 

 学部1年当時、新幹線で通学し、ほぼ大学と家とを往復するだけの生活を送っていた私は、音楽大学に入ったものの音楽する時間が限られている、という寂しさを感じていた。そのようななかで、演奏の喜びを再確認し、翌週への活力を養うべく毎週心待ちにしていたのが副科合唱である。金曜5限、階段状の横長な第2ホールにさまざまな専攻の学生が集まって、自分に合ったパートの楽譜を手にする。とりわけ、モーツァルトの《アヴェ・ヴェルム・コルプス》と《レクイエム》のときの記憶は今でも鮮明である。ピアノ専攻生が交代で担当する音取りと伴奏で練習を重ねたのち、担当の渡辺三郎先生は楽器専攻者の有志を募りオーケストラ伴奏を付けることになった。それまで女声合唱の経験しかなかった私は、混声合唱できることだけで既に浮かれていたのだが、加えてオーケストラの伴奏で歌えるときた。専門の楽器のない楽理科生は、無条件に合唱人員となる。アマチュア合唱団員がプロのオーケストラ伴奏で、大曲に挑むときのような気分だった。翌週、副科合唱団(!)による演奏会場と化した第2ホールで、にわかに結成されたとは思えないオーケストラの情熱的な演奏に包まれながら、私はモーツァルトの音楽に酔いしれて目頭を熱くしたのである。
2003. 7. 24 修士課程3年 みもざ

 

 楽理科の学生は副科ピアノ、副科声楽以外に、2年次から副科ピアノ以外の副科実技を選択することができます。西洋の管弦楽の楽器はもちろん、邦楽や西洋古楽の楽器も履修できます。また、能の謡や日舞、狂言などもあります。初級では多くの場合集団授業、中級では個人レッスンになる場合が多いようです。  私は日本舞踊を履修しています。先生は邦楽科の学生を指導なさっている先生です。このように、専科の学生、副科の学生の区別なく同じ実技の先生に学べることは芸大のすばらしい点だと思います。また、日本舞踊の場合、専科の学生の方も一緒に踊ってくださるので、振りを覚えるのが早くなります。さらに、着付けも教えてもらうことができます。授業は足袋に浴衣または着物で行います。日本舞踊を習うだけでなく、挨拶の仕方、扇の使い方、美しい座り方、立ち姿など、日本人として私たちが忘れてしまったマナーや慣習を学ぶことができます。腰を落とすため、初めのうちは筋肉痛になるほどハードで、場合によっては体育より疲れるかも。でもこれも魅力的で美しい日本人になるため!努力は惜しみません。
2003.7.30 学部2年 和風人

副科実技は福化実技?

 「楽理って何するの?」という質問をこの三年間に何度受けたことでしょうか。一度として即答できたことのない私ですが、その理由は一言では説明し切れないほど多くの活動をしているからなのです。今回はそのひとつ、副科実技についてお話します。
音楽学部で開設されている40以上の実技科目から、楽理科の学生は年に副科実技を2科目選ぶことができます。そして、実際に楽器をもって、その奏法を学ぶことができます。副科のお得な点は、初心者でありながら、一流の先生に手取り足取り教えていただけることや、普段なら敷居が高くて近づき難い分野でも、やる気さえあれば習うことができる点です。
私は、一年半に渡って歌舞伎やお祭のお囃子で使われる篠笛のレッスンを受講しています。初めの一年は、音を出すのがやっとでしたが、二年目の今年はレッスンの度に何かしら新しい発見ができて、次のお稽古が楽しみでならないくらいです。笛は、息の吹き込み方を少し変えただけでも、音高や音色が変化する楽器です。今は、どこに息をあてたら鳴るのか、その場所を探る段階ですが、いつかはその曲に相応しい音を自分でつくり出せるように練習を重ねていこうと思っています。
2003.7.10 学部4年 黒髪は女の命。